思ってたんと違う。

昨日のブログで霜柱を踏むような大人にはなりたくなかった、と書きましたが

ではどういうヒトが理想の「大人」なのかを考えた。

 

私が中学生の時に「自分はこうなりたい」と思い描いていた大人像は

「通勤電車で英字新聞を読む女性」でした。

どうです、貧困な発想でしょう。ここまで貧困だと哀れにもなるね。

 

でも当時は真剣に

大人になると英字新聞なんて自然に読めるものだと思っていたのです。ますます哀れ。

 

 

 

薄々、そんな大人になれないと思ったのは会社員だった20代前半の頃(もう立派な大人だろ)。

社員食堂で同じチームの男性の先輩社員と定食を食べていた時に

「死ぬ間際、神様に最後の晩餐をお願いするなら何か」という話になった。

私は当時も今も大好物だった「いかなごの釘煮」と答えた。

「いかなごの釘煮さえあればなんぼでもご飯が食べられる。釘煮一択!」と言うと

N先輩は「いかなごの釘煮だとご飯はつかず、釘煮だけになる。ここは『いかなごの釘煮定食』とお願いすべき」

とアドバイスされ、ハッとした。

 

ご飯がつかないのでは、いかなごの釘煮の魅力も半減。

今後、神様にお願いする時は気をつけようと思う一方で

名の知れた会社の社員食堂で私は何の話をしているのかと思った。

 

社員食堂といえばコンプライアンスとかコンセンサスとかコーポレートアイデンティティとか

そういう話をするもんじゃないのか…。

こんな私が30代になったところで、英字新聞が読めるようになるわけない、と。

 

 

そうして40代。英字新聞どころか日本語の新聞も取っていないうえに

霜柱を踏んでいる大人になるなんて夢にも思っていなかった。

あとアイスクリームのフタについたアイスをこそいで舐める大人になるとも思っていなかったし

踏んだレゴを、痛さと怒りにまかせてゴミ箱に投げ捨てる大人になると思っていなかった。

 

中学生の自分に謝りたい。

 

※ちなみにこの先輩とは以前のブログにも描いたけど

昼休みに近くのキディランドでガンプラを物色し、時には購入した後

毎日ガチャガチャをする仲間だったので私がこんな大人になったのはN先輩のせいともいえる。

 

 

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